最近、ちょっとした楽しみが出来た。
 それは七日に一回、十時半頃に訪れる。事務所のドアーに付けられている鐘とも鈴とも云えぬ小さな金属音が始まりの合図。


 ちりんちりん、


 嗚呼、この音だ。
 いつも寝ている間は聞こえぬこの音も、この時だけはやけに善く耳に響く。
 音は三半規管を通り信号となって脳に伝わり、脳は眠っている僕の自我──意識を揺さぶる。そして、僕は僅かながらも目を醒ます。
 しかし、そのまま目を開けることない。起きる気はないのだ。
 だから、ぼうとして夢の続きを描き始めようとする。が、それをするか否かという時にまた、


 かたん、


 音がするのだ。今度は物音である。大方、扉を開けた時のものだろう。
 誰かがゆっくりと侵入(はい)ってくる。時折、何かに躓き小さく息を呑む声がする。その声を聞いて、あれが来たのだなと少し嬉しくなると同時に、また楽しみが来たのだと心が弾む。


「あの…榎木津、さん」


 やはり小さい声。いつも始まりはこうなのだ。本当に小さな、掠れてしまうくらい小さな声で、おずおずと名を呼ぶ。
 そして、戸惑いながら肩に触れ、軽く揺さぶる。


「榎木津さん、起きて下さい。朝です、というかもう少しで昼になっちゃいます」


 それで起こしているつもりなのだろうか。そう思ってしまうくらい遠慮がちだ。否、謙虚なのかもしれぬ。否々、違うか。そうではなく、単に起こす気がないのだろう。それなら起こすな。僕は寝るのだから邪魔しないでくれ。


「榎木津さん起きて下さい」


 やや声を張り上げ、先程よりも荒い仕草で躯を揺すられる。そうされる事でぼんやりとした意識は急速且つ意図的に覚醒していく。
 僕はこの時の何とも云えぬ強制的な圧力が嫌いだ。無理矢理箱に詰められるような気がしてならぬ。型に填められて押し込まれるなぞ言語道断真っ平御免だ。
 別に僕は、何者にも囚われたくないなどと主張する尻の青い若者みたいな事を云いたいのではない。ただ、嫌いなのだ。この、人為的に成される『覚醒』という感覚が。性に合わない、と云っても良いのかもしれぬ。
 等々つらつらと考えられる辺り随分と僕の脳味噌は起きているらしい。因みに、躯は未だ揺すられ続けている。かなり不快だ。僕は起きる気など毛頭無いのだからいい加減止めて欲しい。ああもう、


「いい加減起きてくだ」


 ばふん、と布団が噴き出す。
 次いで、ベッドのスプリングが低く呻いた。
 腕の中でもがく彼を全身を使って抑え込む。と云っても相手は自分よりも幾分か小さいので抑えて抱き込むのは容易であった。


「ちょ、貴方起きてるじゃないですか!起きているなら起きていると」
「僕は寝ているとも起きているとも云っていないよ本権くん」


 むしろ寝ていたのだ


 そう聞くなり随分と憤慨した様子で先程よりも一層もがきだした。僕に勝とうなど六千年早いのに。
 ほんの少しだけ腕の力を強め、彼の耳元で囁いた。


「ほらほら、君も寝てしまいなさい。というか、寝ろ。これは命令だ。神からの有難い勅令なのだから有難く思って黙って従え」
「な、」


 言葉を失い、一瞬だけ動きが止まる。その瞬間に腕の檻をより堅固なものに変えた。
 彼はそれに気付いたらしく、また暴れ出した。
 そうして暫く暴れていたが、無意味だと知ると大人しくなった。その後、二三度もそもそと動き、据わりの良い所を見付けると僕に躯を預けた。中々善い判断だ。これで漸く静かになる。


「────今回だけですよ」


 もう、と文句を云いながらもその声色は明るいものだった。
 きっと今の彼は仕様がないなあ、という表情(かお)で笑っているのだろう。ふと、瞼の裏にそんな表情をした彼が映る。
 その無意識下での行為が何となく恥ずかしく、こそばゆく思って抱き寄せた躯にすり寄った。背を曲げ、頭を彼の項辺りに置く。
 殊更強く抱いて、ゆっくりと息を吸う。鼻腔の内側を彼の馨が擽るのを感じ、それを心地良く思う。
 そして、僕は夢の中に身を沈めるのだった。



この楽しみに


名前など要らない








 初榎本がこれってあれだなあ。
 本当は榎さんは本島が好きなんだけどまだ認めてあげないよ、みたいな話だったんだけど、なー?