ぱちん


 ぱちん


 大小の違いさえあれど、乾いた音は間断無く規則正しく続く。


 探偵事務所の応接間では一種異様とも滑稽とも言える光景が広がっている。その探偵事務所を知る者ならば「いつもの事だ」と溜め息の一つでも吐くだろう。(事実私は此処に来る度吐いている)
 しかし今回その対象は探偵さんだけで無く、私も巻き込まれているのである。非常にゆゆしき事態だ。なんとしても抜け出したいのだが、如何せん男と女の──決して差別というのでは無く一つの事実として──力の差は歴然であり、またその前に彼と私は大人と子供である。如何にしても力ずくで抜け出るのは無理だし、後ろから抱き込まれているので脱出は不可能というものだ。
 なので私はさっさと諦めて、恥ずかしながらも幼児のように彼に爪を切ってもらっているのである。それは探偵さんの要望を受け入れたと言うことであって、決して私自身が望んだ事ではないのであしからず。


 さて、当の探偵さんは柔らかく私の手を包み、指を支えてぱちん、と爪切りで白い爪を削いでいる。
 深爪にならない絶妙な位置で刃を止め、爪切りの背にある粗いヤスリで断面を擦る。こうすると爪の甘皮が剥けなくなる上に爪自身にも何やら善いらしい。(探偵さんが喜々として語ってくれた)
 その一連の動作を終えると隣の爪に移って、また同じように手を動かす。
 自身の手よりも大きく、指も二周り程違う彼の優美な手を、ひいては彼によって行われているその行為をじい、と見つめ続けた。すると、背後の探偵さんは喉を震わせてくつくつと笑い、「どうしたの」と静かに問い掛けてきた。
 不覚にも私は囁いてきた彼の声が低く掠れていた事に驚き、またその音が酷く魅惑的で顔が熱くなってしまった。(きっと耳まで真っ赤なのだろう)(嗚呼、恥ずかしい!)


「何でもない、です」
「ふうん。そう?」


 内容は冷たく聞こえもするが、未だ聴こえる彼の笑い声からそうではないと知る。
 数拍遅れて左の耳に柔らかいものが当てられ軽く吸われた。小さく接吻の声を響かせ、そのまま私の耳元で探偵さんは再度囁く。


「可愛いね」


 と。そして「好きだよ」とも。
 恥ずかしさは最高潮まで達し、私は顔を上げて自分と彼の手を見る事も出来なくなってしまった。
 暫く私は自分の膝と応接間の絨毯を眺めていたのだが、探偵さんに──今度は普通の、いつもの声色で──声をかけられて渋々ながらまだ覚めやらぬ赤い顔を上げた。


 くるくると十指の爪にヤスリ──爪切りに付属したものではなく、きちんとした爪専用のそれ──を滑らせて、ふう、と息を吹きかけると、はらはらと白い粉が宙に舞って空気に溶けた。
 そして露わになった私の小さい爪に絶句した。
 白い無精に伸びていた部分は切り取られ綺麗に整えられていて、いつもはちょっとデコボコした爪の表面も滑らかに磨かれ柔らかく光を反射している。
 まるで自分の爪、否自分の指ではないような、そんな気もしてしまうくらい指先は変わっていた。
 ぴたり、と蝋人形のように固まった。そんな私の状態を気にする事もない探偵さんは「うふふ」と笑い乍ら心底嬉しそうに言った。


「うん、可愛い手が更に可愛くなった」
「そんな───」
「誰が何と言おうと僕が『可愛い』と言えばどんなものでも可愛いのだし、可愛いものは可愛いんだよ。」
「…『神』、だからですか」
「そう、『神』だからね」


 整った顔を美しく歪ませて探偵さんは笑った。そしてもう一度「可愛い。」と言って彼は私の指先に口付けたのだった。





嗚呼もう何でそんなに


格好良いんですか!

(そりゃ神だからねえ)







 かぁっくいー三十半ばのおっさんというか大人の余裕綽々な榎木津礼二郎が書きたかったんです。格好良く美由紀くんに笑いかけて子供みたいに駄々こねるおっさんが理想の榎木津礼二郎なので(おっさん言うな)(これも愛情表現なんだよ)(どこが愛情表現なんだよ)(これが)(どこが)(以下エンドレス)